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茶筅Kuyo [一期一会☆茶会茶事]

昨年この日記を書いておいて・・・下書きに入れっぱなし[あせあせ(飛び散る汗)]になっていました。
今日UPしますが、これは昨年末のできごとです。

茶道をする場合、代用できないものがお茶筅です。
お茶筅がなければお茶は点てられません。

そんな茶人にとって、大切なお茶筅のご供養にいってきました。

最初に献茶をし、参加者にお茶がふるまわれ、
その後に、ご供養してお食事。

茶筅のご供養はホウロクに、社中の人達の使った穂先が痛んだお茶筅が並び
火が入れられご供養の間、お経が読まれ、ご供養されます。

「お手前が上手になるように」
そして
「本当にありがとう」
など・・・感謝、感謝の茶筅供養でした。

お濃茶を練ったり、お薄を点てたり・・・
お茶筅だけは代用できない、なくてはならない身近なもの。


さて、お茶筅について調べてみました。

「茶筅」は「茶筌」とも書きます。
抹茶を点てるときにお茶をかき回し泡を立てたり練ったりする道具です。

白竹、青竹、胡麻竹、煤竹、紫竹などがあります。
その竹を10cm前後の竹を縦に細くきり、きった部分を穂といい、外穂と内穂にわかれています。
その外穂の数が16本~120本まであります。
穂の数が多ければ、細くなるため作るのに大変な技術がいるため格が高いとのこと。

16本→平穂
32本→荒穂
48本→中荒穂
64本→常穂・並穂
72本→数穂・繁穂
80→八十本立
96→百本立
120→百二十本立

Wikiによると

明治維新以前は80本以上の穂数は大名以上の貴人用、120本は将軍用とされていた。大名が濃茶を練る場合には、穂数を多くかつ穂を太くするため太い竹で茶筅を作り、これを宝莱と呼んだ。穂数が少ない茶筅で薄茶を点てるには技量を必要とするため、逆に穂数の多い茶筅を用いることで自らの未熟を示して謙遜する意味合いもあった。78本の茶筅を用いるのはこの意味合い。

と、書いてありました。

茶筅供養は”針供養”などと同じで各地のお寺に茶筅塚があったり、お茶筅のご供養の会があります。
東京近郊では

・東京 池上本門寺
・東京 茶道会館
鎌倉 瀧口寺

お茶事、茶会に新たにするものです
(お稽古では風炉、炉の変りる時に新しくしてますが。)

茶筅を一般的に使っていましたが・・・
今回調べてわかったのは、正式には「茶筌」
茶筅も間違いではなく、一般的にはこの字の方が多く使われてります。
筅『ささら』『ささら』に通じ『ささら』とは単に竹を割って紐等で縛っただけの物、桶、樽等を洗う道具。
茶筅も物を洗う道具になってしまいます。

茶筌は物を洗うものではなく、お茶を点てる茶道具。
これからはこちらを使います。



なにをとっても奥が深いですね。

最近では中国産の茶筅もあるようですが、気候が違うからでしょうか?
持ち手も太めですし使い勝手が余りよくないように思います。


利休百首
・水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝柄杓と心あたらしきよし
・茶入また茶筅のかねをよくも知れ跡に残せる道具目当に
・茶を点てば茶筅に心よくつけて茶碗の底へつよくあたるな


私はデスク引き出しに小さい籠に入ったセットを入れてコッソリと
また、旅行の時にも必ず持っていって、旅先のホテルで飲んだりしています。

お茶のお稽古をした事がない方でも、
抹茶に茶碗、茶筅とお湯があればお茶はいただけます。
抹茶をいただくと心が落ち着きます。
忙しい時、イライラしている時など
コーヒーブレークにお茶を点てて飲んでみてはいかがでしょうか?

上野Sakura [一期一会☆茶会茶事]

花曇の東京
東京国立博物館のお茶会に行きました。

通称東博(トウハク)といわれ、現在薬師寺展が開催されています。

もとは、上野寛永寺の敷地内でお茶室は5つ


応挙館
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九条館


六窓庵
慶安年間奈良興福寺慈眼院に建てられた金森宗和の好みの茶室。
もとは興福寺大乗院にあり、奈良の国立博物館

春草蘆
江戸時代 河村瑞賢が摂津淀川の改修工事の際に建てた休憩所。
その後大阪、原三渓により横浜の三渓園に移築され、昭和12年に埼玉所沢市にある松永安左衛門(松永耳庵)の柳瀬荘内に移築され、昭和23年に東博に寄贈され34年に現在の場所に移されました。

転合庵
小堀遠州が桂の宮から茶入「於 大名」を賜りその披露のため京都伏見の六地蔵に建てた茶室
その後大原にある寂光寺に移築され、昭和38年に三共製薬会長塩原禾日庵より寄贈され現在の場所に移築されました。
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報恩茶会 [一期一会☆茶会茶事]

報恩茶会があり、新橋にある東京美術倶楽部に行かせていただきました。

お茶席は3席

花ノ間 薄茶
雪ノ間 薄茶
立礼  一席
御供養
続きは後ほど

日曜日は物凄い風でした。

お茶会でご供養のお菓子
今年は塩野の松竹梅最中
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塩野のお干菓子は美味しいのですが、最中はイマイチかも・・・
昔は空也最中だったそうで、こっちの方が空也を食べてみたかった

初茶会2008 [一期一会☆茶会茶事]

今年も初茶会に行ってきました。

雪が降るくらい寒い日でしたが、今年は訪問着を着ての参加

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鎌倉 英勝寺のお茶会 [一期一会☆茶会茶事]

英勝寺のお茶会に行ってきました。

先輩が用事が出来てしまいいかれなくなり、回ってきたお茶券でした。
普段入ることが出来ないお寺でも、お茶をやっているので入れることに感謝
1度いくとお花など植物が綺麗でもう一度いきたいと思うとのこと。
楽しみにしていきました。 お寺の境内はとても静かでアットホームな雰囲気。 お茶室はとても見事な襖絵でその空間にいるだけで、嬉しくなりました。

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三渓園でお茶会 [一期一会☆茶会茶事]

秋晴れの日曜日「三渓園」で行われた横浜茶会に行ってきました。

三渓園は横浜の生糸貿易商だった原三溪によって建造され、数寄者といわれた三渓の寺院や住宅、茶室などがあり、広大な庭園内に四季の花々や自然も多く残る都会では数少ない憩いの場所です。

今日のお席は4席
白雲邸 表千家、裏千家
月華殿 裏千家
蓮華院 江戸千家

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護国寺のお茶会と彼岸花 [一期一会☆茶会茶事]

23日に護国寺お茶会がありました。
前日まで32度と夏日だったので、今日は過ごしやすいとはいっても、

着物・・・歩くだけで汗が噴出してきました。

護国寺のブッ様は前の日記

このお茶券は、体調を崩し入院する前に、お教室の方が取っておいてくれたありがたい券
先週お稽古のときに先生からお菓子が美味しい!と、情報を得ていたので楽しみにしていきました。
お席は9席近くありその中をチョイスして2席入れるというもの。

護国寺はお茶室が沢山あって、入れるだけで大変勉強になります。

最初に
月光院は昭和3年に三井寺から移築した客殿で、、桃山時代の書院建築様式を伝える建物。

表千家がお席をもっていらしゃいました。
狩野派水墨画が床の間に描かれ、お軸もりっぱ
テーマは月光院にちなみ”月”にちなんだお道具組みで、ウサギの香合やお茶碗もウサギや月、ススキなどが描かれていました。
行台子で水墨画に見劣りのしない格があり、続き薄(ここのお席に入るまでに2時間近く待ったのですが、お席に入って納得)で、お濃茶とお薄といただけて、得した気分でした。
席主の先生は、お家元を大変尊敬していらして、お家元からのお言葉
おいしいお茶とお菓子をだしなさいといわれたそうで、お茶は柳桜園
菓子は栗ようかんでしたが、干菓子は伊織から朝もってきてくださった、氷室のお菓子がおいしかった。

護国寺にある月光殿が修復に入るそうで、その前に入ることができてよかったです。

2席目は煎茶などに入りたかったのですが、先輩が急な法事が入り先輩のチケット
一応先生お薦めの月窓軒へ
お菓子はとても期待したのですが。さおじかが・・・
でもお茶は小山園でしたが、裏千家のお茶は飲みなれているので、すごく美味しく感じました。

数寄者と呼ばれた人達のお茶室

化生庵は日本麦酒会社(ビール王)の馬越恭平(化生)のお屋敷から移築

水戸藩士の子で三井系実業家、三越百貨店近代化を築いた高橋義雄(箒庵)の三畳代目の茶室円成庵

八畳の不昧庵、艸雷庵、艸雷庵、宗澄庵など

おしのぎ券がありまして、お弁当がでましたが、友達と箱を開けてびっくり!
かなり小さくてこれだったら、2人分いけると・・・これなかった先輩のおしのぎもいただいちゃいました。
一袋直径3cmほどでした・・・

お茶会はシンプルなお茶会で、ゆったりとした会でお茶室を堪能することができました。

また、昔青年部でご一緒した方とあい、変らぬ誠実で控えめな姿に出会い、心新たにした1日でもありました。


護国寺の境内には、彼岸花が咲き乱れていました。
彼岸花は数年前に円覚寺の四つ頭の茶会の時にも咲いていたのを記憶していますが、それ以前はお花に興味がなかったので感じる事はなかったです。

彼岸花について調べてみました。

彼岸花(別名:曼珠沙華)

科名:ヒガンバナ科
属名:ヒガンバナ属
学名:Lycoris radiata
開花時期:9月上旬~10月上旬
花言葉:悲しい思い出、情熱、独立、再会、あきらめ


彼岸花の成分彼岸花の球根や茎にはリコリンという毒性のある成分があります。これらを口にすると吐き気や下痢を催すことがあります。昔の人は根を水にさらして毒を抜き、食料としてでんぷん質を摂っていました。リコリンには炎症を抑えたり防虫効果もあり、摩り下ろして湿布にしたりネズミや野犬よけに使われていました。口にするには毒になってしまうけれど、外用薬としては効果があったようです。

ご一緒した友達が話してくださったことですが、
子供の頃、彼岸花を取って母親に怒られたそうです。
「家が火事になる」といい、縁起が悪い花という印象が残ったそうです。
私はお花の赤い色からかなぁと思ったのですが、上記のように、このリコリンの毒性を危惧して、お母様は怒ったのでしょうね。

でも彼岸花って、どうして、花はあっても葉っぱがないのでしょうか?
凄く不思議なのですが


献茶式に [一期一会☆茶会茶事]

お天気は雨がふるとの事・・・雨コートを着て神社に向かいました。
前回待ち合わせの時間に遅れるとと思い、溜池山王駅のエレベーターを駆け上がっていったところ
ウィッグを落としてしまい、ビジネスマンの方が「ヅラ落としましたよ~」と追いかけてきてくれましたが、未だに教室内では語り草になってます。
その

日枝神社献茶式

昔は日枝神社の献茶は6月16日の嘉祥の日に行われ、ご祈祷されたお菓子が振舞われていたそうですが、なんと家元が変わり、私の献茶デビューの年からこの日に献茶はやってくれないそうです。

ケチッ!

献茶式には沢山の人たちが集まり私も朝8時に日枝神社本殿前で待ち合わせをしましたが、もうすでにお席は始まっていたようです。

季節の道具以外に日枝神社は葵紋とかサルに因んだお道具もでていたりしました。

濃茶席

印象に残ったのが貞明皇后から拝領のお茶碗がでていて、お茶碗の中側が金なのに驚きました。
またお菓子がおいしいことったら!!!
葵饅頭 なんと!名古屋から取り寄せてくださったものだそうです。
名古屋にでむき、出来上がりを車でもってきたと、柔らかくてアンコは黒砂糖が多めにはいりおいしかった♪
忘れられない味になりました。
私のいただいたお茶碗は、高麗茶碗松平不昧公箱書きで銘が松風

玉兎というお花が活けられていて、木槿の種類だそうですがお花に興味がなくわからなかったのでネットで探してUPしてみました。
調べました。

   木槿(むくげ)
学名:Hibiscus syriacus(ヒビスクス・シリアクス:シリアのハイビスカスの意)
別名:蓮(はちす) 木蓮(はちす)
分類:アオイ科フヨウ属の落葉低木
花期:7月上旬から10月上旬
勉強も比較しないとわからないタイプ・・・比較のために木槿Wo
   

上はスタンダードなもので赤みのある方はハイビスカスって感じがしますよね。
下が玉兎というムクゲです。ネーミングがかわいい

  カクっとなっているところがウサギに似てるからだそうです。

献茶は前回日枝神社の献茶式は猛暑で偉い方々が来なく、席が余りそこにちゃっかり座らせていただいたのですが、お手前は余りよく見えませんでした。
ネットにでていた献茶式の様子

お濃茶が終わり薄茶に入るには時間が足りずで、本殿で席をとりつつゆっくり準備を見ていました。
献茶は神主さん、巫女さん家元、業躰先生の順番で入ってくるのですが、茅の輪をくぐってくるので
神様行事って感じで神聖な雰囲気
ネットに掲載されていた献茶式の様子


薄茶席

お菓子が緑色で葛を使ったお菓子で黒文字では取りにくいくらい
清涼感もあって美味しかった。
蓋置きはサルの蓋置で”見ザル、いわザル、聞かザル”可愛かった


鶴見でお茶会 [一期一会☆茶会茶事]

鶴見お茶会がありました。
生憎の今にも雨が降りそうな空、今日も着物をきていきました!

 

普段は入ることができないお寺だそうで、こういう時にお茶を習っていてよかったなぁと思います。

本席の濃茶席のお道具も見事でしたが、なんと!先輩に色々といわれているうちにお正客になってしまい・・・本来余り話ができないのでタドタドしくて最悪でした。

薄茶席では12代宗哲の棗などがでました。

薄茶席が終わったところで外を見るとすごい雷雨で外は水浸し・・・立ち往生してしまいました。
少し小ぶりになったところで、阿弥陀堂へ

 阿弥陀堂があり平等院の極楽浄土
でこの下で立礼席

弁才天や浦島太郎、お能の竹生島にちなんだお道具

平等院にいる感じでラクメの「花の歌」やカルメンの「アダージョ間奏曲」が流れてくるような感じです。

 阿弥陀堂の階段の下に神様のお使いの3猿が!(この下に道祖神が)

 お弁当は吉兆でウナギがすごく美味しかったです


金沢文庫と称名寺 [一期一会☆茶会茶事]

金沢文庫と称名寺に行ってきました。

金沢文庫で「金沢文庫の仏像 (特別公開)運慶作 大威徳明王坐像」が日曜日まで展示ということで急ぎ見てきました。

重要文化財   釈迦如来立像
神奈川県指定  十大弟子立像
重要文化財   十一面観音立像
           毘沙門天立像
重要文化財   厨子入金堂愛染明王坐像
重要文化財   弥勒菩薩立像像内納入品
神奈川県指定  旧常福寺阿弥陀三尊坐像納入品(横浜市・宝樹院所蔵)
           不動明王三尊立像
           地蔵菩薩坐像
神奈川県指定  僧形八幡神像
           厨子入弥勒菩薩像
           阿弥陀三尊立像
           厨子入阿弥陀三尊像
           維摩居士坐像
横浜市指定   塑造弘法大師坐像(称名寺金堂安置)
           聖観音菩薩立像(大宝院所蔵、称名寺金堂安置)
           地蔵菩薩坐像(光明院安置)

重要文化財   脇机(称名寺金堂安置)
重要文化財   磬架
重要文化財   鉦架(称名寺金堂安置)
           青磁花瓶・花台
           金銅華蔓
           燈明台
重要文化財   金沢文庫古文書
重要文化財   称名寺聖教
大威徳明王像


県立金沢文庫において保管する大威徳明王坐像(だいいとくみょうおうざぞう/称名寺光明院所蔵)を解体修理したところ、像内納入文書が発見され、本像が運慶の作品であることが判明しました。

○小さな名作・大威徳明王像
 平成10年、称名寺の光明院から発見された総高21.1㎝の小さな仏像です。この仏像は破損部分が多いのですが、顔面と胴部が残り、鎌倉時代前期にさかのぼる優秀な作品と認められました。その後、X線撮影の結果、像内納入品の存在が確認され、本年2月末、修理の途中で納入品の開封に成功しました。

○納入文書の驚くべき事実
 納入文書は、香料などとともに和紙に包まれ、像の胴部にはめ込まれていました。像が作られて以来、開封された痕跡は見られません。文書末尾の奥書によると、この仏像は、建保4年(1216)11月23日に、「源氏大弐殿」(げんじだいにどの)が発注者となり、運慶によって作られたことが明記されています。
 本像を作らせた「源氏大弐殿」とは、鎌倉幕府の歴史をつづった『吾妻鏡』に登場する「大弐局」(だいにのつぼね)を示すものと考えられます。この女性は、源氏一門の加賀美遠光(かがみとおみつ)の愛娘で、将軍御所に仕え、源頼朝の子息で将軍職を継いだ頼家・実朝の2人の養育係として重要な役目を果たした、鎌倉幕府の中でもトップクラスの女房です。

運慶は日本で最も有名な仏師ですが、現存する確かな作品はわずか5件、ほぼ確実と推定される作品も5件しか伝わっていません。今回の発見は運慶の真作を1つ加えるものです。今まで、鎌倉幕府の中枢部の人物のために作られた作品は、記録の上でしか知られていなかったので、美術的価値ばかりでなく、歴史的にも重要な資料として位置づけられるものと思われます。
             ほか

 

神奈川県立金沢文庫

金沢文庫は鎌倉中期、武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)に居を構えた北条実時が造った武家の文庫。
蔵書の内容は政治・文学・歴史など多岐にわたったといわれている。
金沢北条氏は元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡し、以後、隣接する菩提寺の称名寺(ショウミョウジ)が維持管理した。現在、金沢文庫は県施設歴史博物館として、鎌倉時代の諸相を今日に伝える貴重な文化財を伝え、その調査・研究・展示・講座を行っている。

住所 〒236-0015 神奈川県横浜市金沢区金沢町142
電話 045-701-9069
FAX 045-788-1060

 


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